
礼拝説教
柳 鍾鉉牧師
「キリストの涙」
(34分14秒)
<引用聖句、文章>
Watchman Nee ウオッチマン・ニー(1903-1972)
目は心の出口である。もし、あなたの愛情を涙を流すことのできない人に与えるなら、それはあなたの財布を、すりに預けて見守ってもらうのと同じです。涙を流すことのできない人は涙を流せる心が乾いているからである。
マタイによる福音書 24章1、2節
イエスが宮から出て行こうとしておられると、弟子たちは近寄ってきて、宮の建物にイエスの注意を促した。そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたは、これらすべてのものを見ないか。よく言っておく。その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」。
〈瞑想の言葉〉『各時代の希望』下巻 27頁 64章「滅ぶべき民」
キリストは、オリブ山の高いところから、世界と各時代を見渡された。彼のみことばは神の恵みの訴えを軽んじるすべての魂にあてはまる。キリストの愛をあざける者よ、主はきょうあなたに語られる。平和をもたらす道を知っているべき者は「あなた」である。キリストはあなたのために涙を流しておられるのに、あなたは自分自身のために流す涙がない。
『各時代の希望』下巻 25頁
イエスは滅ぶべき都のために苦しんで泣かれたが、エルサレムを救うことがおできにならなかった。主はありとあらゆる手段をつくされた。神のみたまの警告をこばむことによって、イスラエルは、唯一の助けの方法をこばんだ。彼らを救うことができる力はほかになかった。ユダヤ国民は、限りない愛の神の訴えをあざける各時代の人々を象徴していた。キリストがエルサレムについて泣かれた時の涙は、すべての時代の罪のためであった。
ルカによる福音書 23章27、28節
大ぜいの民衆と、悲しみ嘆いてやまない女たちの群れとが、イエスに従って行った。イエスは女たちの方に振りむいて言われた、「エルサレムの娘たちよ、わたしのために泣くな。むしろ、あなたがた自身のため、また自分の子供たちのために泣くがよい。
ヘブル人への手紙 5章7節
キリストは、その肉の生活の時には、激しい叫びと涙とをもって、ご自分を死から救う力のあるかたに、祈と願いとをささげ、そして、その深い信仰のゆえに聞きいれられたのである。
『キリストへの道』「祈りの特権」
もし人類の救い主である神の子でさえ、祈りの必要をお感じになったのであるならば弱い罪深い人間には、どれほど熱心な絶えざる祈りがなければならないことでしょう。
Watchman Nee ウオッチマン・ニー
涙は人を導いてさらに神へ近づけさせます。それで人がもし、ただ平坦で安逸な道を選び、風、霜、雨、雪の剥奪に遭わないなら、霊的に深い人となることはできません。安らかで楽しい時にだけクリスチャンになって、涙を流す日にはクリスチャンでありたくない者は役に立たない人たちです。今日、多くの人がまだ主を信じていないのは、苦しみをなめたことがないからです。そうです、この世にあって朝から晩まで喜び楽しみ、食べ飲みするのは人として良いことです。もし特別な事が発生しないなら順調に過ごすことができます。しかし、すべて涙を流さない人は、光を見る事ができません。あいまいで、この世に浸っていて救われないのは、不思議ではないのです。クリスチャンたちよ、あなたがたの心はかたくなだから、涙をもってあなたがたの目をふこうとしないのです。当然、霊的な事の上でも、このようにあいまいなのです。
詩篇 6篇6節
わたしは嘆きによって疲れ、夜ごとに涙をもって、わたしのふしどをただよわせ、わたしのしとねをぬらした。
詩篇 42篇3節
人々がひねもすわたしにむかって/「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は/わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。
哀歌 2章18節
シオンの娘よ、声高らかに主に呼ばわれ、夜も昼も川のように涙を流せ。みずから安んじることをせず、あなたのひとみを休ませるな。
詩篇 39篇12節
主よ、わたしの祈を聞き、わたしの叫びに耳を傾け、わたしの涙を見て、もださないでください。わたしはあなたに身を寄せる旅びと、わがすべての先祖たちのように寄留者です。
ルカによる福音書 7章37、38節
するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏のつぼを持ってきて、
泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。
ヨハネの黙示録 21章4節
人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。