
礼拝説教
柳 鍾鉉牧師
「平和ではなく剣を」(46分40秒)
<引用聖句、文章>
マタイによる福音書 10章34、35節
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
ヨハネによる福音書 14章27節
わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな、またおじけるな。
ヨハネによる福音書 16章33節
これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」。
マタイによる福音書 10章17、18節
人々に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。またあなたがたは、わたしのために長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。
マタイによる福音書 10章36、37節
そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
マタイによる福音書 10章5~12節
イエスはこの十二人をつかわすに当り、彼らに命じて言われた、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな。むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。行って、『天国が近づいた』と宣べ伝えよ。病人をいやし、死人をよみがえらせ、重い皮膚病にかかった人をきよめ、悪霊を追い出せ。ただで受けたのだから、ただで与えるがよい。財布の中に金、銀または銭を入れて行くな。旅行のための袋も、二枚の下着も、くつも、つえも持って行くな。働き人がその食物を得るのは当然である。どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。その家にはいったなら、平安を祈ってあげなさい。
ルカによる福音書 10章3節
さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、小羊をおおかみの中に送るようなものである。
『各時代の大争闘』下巻 358ページ 第37章「ただ一つの防壁・聖書」
すべての言説や奇跡は、聖書のあかしによって吟味されなければならない。神の戒めのすべてに従おうと努力する者は、反対と嘲笑に会うであろう。彼らは神のうちにあるときにのみ立つことができる。彼らは目の前にある試練に耐えるためには、み言葉の中に示されている神のみこころを理解しなければならない。彼は、神のご品性、統治、御目的について正しい理解を持ち、それに従って行動するときにのみ、神をあがめることができる。聖書の真理によって心を堅固にした人たち以外には、だれも最後の大争闘に耐え抜くことはできない。(中略)キリストのみ言葉によって弟子たちに将来がはっきり示されていたように、われわれにも将来のことが預言の中にはっきり示されている。恩恵期間の終わりに関係のあるできごとと、悩みの時のために備える働きとが、はっきり示されている。しかし多くの人々は、全然啓示を受けなかったかのように、これらの重要な真理を理解していない。サタンは、彼らに救いに至る知恵を与えるような感化をことごとく奪い去ろうとうかがっているので、彼らは悩みの時に備えができていない。
マタイによる福音書 10章37節
わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。
ペテロの第一の手紙 5章7~10節
神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。
<瞑想の言葉>
『キリストへの道』「主にある喜びから」
過去の生涯の不愉快な思い出、罪や失望ばかりをかき集め、そのことを語り、悲しんでついには失望してしまうことは決して賢明なことではありません。失望した魂は暗やみにおおわれ、心から神の光を閉ざしてしまい、他の人々の行く手にも陰を投げかけます。しかし、神が描いてくださった輝かしい光景を感謝いたしましょう。