聖書朗読
マタイによる福音書 14章22節~27節
頌栄 希望の讃美歌1番
前祷 説教者
開会の讃美歌 希望の讃美歌14番
(ここは神の)
祈祷 矢野美子長老
柳 鍾鉉牧師
「強いられて」(42分36秒)
<引用聖句、文章>
気を長くし、心を丸くし、腹を横にして、口を慎めば、命が長らえる。
教育、教養、意志の力、人間の努力などいずれも、それぞれ大切な役割をもっていますが、心を新たにする能力は全くないのであります。もちろん、私どもの行動にただ外面的な正しさは与えるかも知れませんが、心を変えることもできなければ、生活の源泉をきよめることもできないのであります。天よりの新しい生命がその人の内部に働かなければ、人は罪よりきよめられることはできません。この力というのはキリストであります。(エレン・G・ホワイト『キリストへの道』「キリストの必要」)
マタイ書による福音書 14章22節
それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。
彼らは不満な気持でイエスを残してきた。イエスを自分たちの主とみとめてから、こんなにいらだった気持はこれまでに感じたことがなかった。彼らはイエスを王として宣言することがゆるされなかったので、不平を言った。イエスの命令にこんなにたやすく従ったことで自分たちを責めた。もっとがんばったら、われわれの目的は達成されたかも知れないと、彼らは議論した。(エレン・G・ホワイト『各時代の希望 中巻』120ページ
第40章 「湖上の一夜」)
箴言 16章9節
人は心に自分の道を考え計る、しかし、その歩みを導く者は主である。
マタイによる福音書 14章24節
ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
ヨハネによる福音書 9章3節
イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
マタイによる福音書 14章26、27節
弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。
瞑想の言葉
救い主についてきた群衆は、イエスの弱々しい、よろめく足どりを見たが、何のあわれみも示さなかった。彼らは、イエスが重い十字架を運ぶことができないといって、あざけりののしった。 ふたたび重荷はイエスの上におかれたが、ふたたびイエスは 気を失って地面に倒れてしまわれた。(中略)イエスのあとに
ついてきたやじ馬連中さえ、恥を忍んで自分が十字架を運ぼうという者はひとりもいなかった。
エレン・G・ホワイト 『各時代の希望 下巻』 258ページ
マタイによる福音書 16章24節
それからイエスは弟子たちに言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。