<引用聖句、文章>
マタイによる福音書 27章 23節
ピラトは、「いったいどんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。24節ピラトは、それ以上言っても無駄なばかりか、かえって騒動が起こりそうなのを見て、水を持って来させ、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」25節民はこぞって答えた。「その血の責任は、我々と子孫にある。」
26節そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。
マタイによる福音書 27章 18節
人々がイエスを引き渡したのは、ねたみのためだと分かっていたからである。
ヨハネによる福音書 13章 3節
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り4節食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。5節それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
6節シモン・ペトロのところに来ると、ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。7節イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。8節ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
E・G・ホワイト『各時代の希望』下、124ページ
キリストだけがわれわれを洗いきよめてくださることができるのである。われわれは、主のきよめの力によってきよめていただかねば、主とまじわる用意ができていないのである。
マタイによる福音書 11章 28節
疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。29節わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。